安倍晋三銃撃事件について思うこと

ここのところのメディアによる統一教会バッシングは凄まじい。山上がこのような状態をどこまで想定していたのかは分からないが、結果的に山上のテロは成功してしまったと言わざるを得ない。

メディアがどういう思惑でバッシングを盛り上げているのかは分からない。これまでも統一教会自民党の関係は暗黙の了解だったはずである。安倍晋三というキーパーソンの殺害事件に発展したことで世間に関係を隠せなくなったのは事実だろう。詐欺的な手法で資金を集める宗教団体と、日本の永年与党である自民党との蜜月の関係は、国民には受け入れがたい事実である。世論が反発するのも当然だ。

一方、左派的な勢力がこの機会に乗じて保守派を攻撃しているといった感覚も感じる。統一教会への質問で献金額が韓国に比べて日本が多いことに関して、わざと「反日的」というキーワードをもって批判しているのを見た。ナショナリズムに敏感な日本の報道で「反日的」というワードで何かを批判することは滅多にないのではないだろうか?これは保守派に対する攻撃に思えて仕方ない。

こう書くと統一教会の肩を持っているように見えるかもしれないが、正直なところ山上にはかなり同情している。もちろん安部を殺す以外にも幸せになる方法はあっただろう。しかし、彼の気持ちを察するに統一教会の呪縛から解き放たれるにはこうするしかなかったように思えてならない。正攻法で訴え出たところで何かが変わっただろうか?とてもそうは思えない。安部という犠牲が無ければ今の流れは生まれなかったのではないだろうか。

だからと言ってこういったテロを肯定するわけにはいかない。すでに同様の未遂事件が起こってしまっている。テロを容認したら社会が成り立たない。残念ながら山上は厳罰に処されるだろうし。処すべきだ。

安部と山上という2人の犠牲により日本は新たな国へと変わらなければならないのではなかろうか。彼らの犠牲が無駄にならないことを祈りたい。