日本語力とは…?

『ごんぎつね』の読めない小学生たち、恐喝を認識できない女子生徒……石井光太が語る〈いま学校で起こっている〉国語力崩壊の惨状 | 文春オンライン

兵十が葬儀の準備をするシーンに「大きななべのなかで、なにかがぐずぐずにえていました」という一文があるのですが、教師が「鍋で何を煮ているのか」と生徒たちに尋ねたんです。すると各グループで話し合った子供たちが、「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」と言いだしたんです。ふざけているのかと思いきや、大真面目に複数名の子がそう発言している。もちろんこれは単に、参列者にふるまう食べ物を用意している描写です。

 

ごんぎつね 全文

こんなことを考えながらやってきますと、いつのまにか、表に赤い井戸がある、兵十の家の前へ来ました。その小さな、こわれかけた家の中には、おおぜいの人が集まっていました。よそいきの着物を着て、腰に手ぬぐいを下げたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きななべの中では、何かぐずぐずにえています。
「ああ、そう式だ。」と、ごんは思いました。

何も知らない子供がこの文だけで料理を煮ているのと読解できるだろうか?

 

この石井光太という人、良く知らないが作家であるらしい。作家だから国語力が重要とと考えるのだろう。しかしあくまで彼は作家であって教員でも教育の専門家でもない。教育の実態を彼が理解しているとはあまり思えない。

どちらにせよ子供や社会が抱える複雑な問題を国語力という言葉だけで簡単に切り分けすぎだと思う。